【 vol.103】素直な心と耳


ハート
心を洗いたくなった時は、丸山敏雄先生の本を開くことにしています。その中から二篇ご紹介します。

耳は 「聞く」 ものである。聞かねば耳ではない。
まともに、ありのままに、淡々として私情私意、我情我欲を挿し挟まずに、たださながらに聞く、これがほんとの耳である。

聞こえても、そのままの意味に取らなかったり、反対にとったり、裏を考えたり、ひねったりする人の耳は、その耳の穴がゆがんでいるのであろう。
ゆがんでいるから言葉がねじけて入って来る。通りが悪い、外情が内達せぬのである。
門番にいかがわしい輩がいて、外界の様子をありのままに御主人に知らさないのに等しい。

子供の耳
子供の物の聞き方こそは、そのままほんとうの物の聞き方である。
舌切雀も桃太郎もただそのままに、実話の話だと信じ切って聞く。
ここに正直な、聡明なよい日本国民が出来上がるのである。
こうした聞き方で聞いたことは、決して忘れない。
必要に応じて記憶にのぼって来る。
我情をさし挟んで聞いたことは、入る穴がゆがんでいるので、出る時もなかなか出にくい。
記憶が悪いのは心がねじけている証拠である。清き耳――――これは子供の耳である。

耳から入ったことをそのまま聞く、そのまま心に入れるということが、いかにむずかしいかを考えさせられます。
子供の頃のようにありのままが聞こえなくなったり、ありのままが心に入らなくなる。
何が邪魔をしているのでしょうか。子供の耳を変えていくのは何でしょうか。年々、心に垢がたまるのでしょうか。
子供のように、あるがままに聞く耳を持ち続けられるよう心がけたいと思いました。

(資料 丸山敏雄 一日一話 より)