【 vol.15 】父と子


皆様、お元気でいらっしゃいますか。
いつも生き生き創健館をご利用いただきまして、心からお礼申し上げます。

20071201今月は七年連続二百安打の偉業を達成し、メジャーリーグに大きな足跡を残したイチロー選手の父、鈴木宣之さんのお話を。

七年連続二百安打というのは、メジャーでも三人目。
父としては、
「息子はそこまで来たのか」
「もっと頑張れよ。満足してはいけないよ」
「怪我するなよ。病気するなよ」
と思うそうです。

イチロー選手の心の中は、「初タイトルを取るだけでなく、その成績を継続しないと価値がない。日本でやっている以上の成績を残さなかったら海を渡った意味がない」とのことです。

父、宣之さんは
「とにかく何でもいいから親を追い越して行けという気持で子育てをした。」
宣之さん自身が野球大好き少年だったので、イチロー選手にもこれで遊んでほしいと、三歳の時に野球道具を買い与えたそうです。

イチロー選手は、幼稚園に入る前から野球が大好きで、小学二年になった時には「僕は毎日野球がやりたい」と「じゃあ、六年生までの四年間、お父さんが毎日三時半からイチローの相手をしよう。毎日だぞ。約束を守れるか」と、宣之さん自身ものすごい決断をした。

それからは、友だちと遊んでいても切り上げて、三時半になると父の前に現れたイチロー選手と近所のグランドで、辺りが暗くなるまでボールを追い続けました。

近所の人からは
「大の男が、お日様カンカン照ってる時に、小さな子供と二人で、野球ごっこして遊んで。」
と笑われました。

中学校では野球部に入ったが、どうしても野球をする姿を見たくて、毎日練習を見に行った。夜は毎晩二人でバッティングセンターへ。

高校は野球の名門校、愛工大名電高へ進み、寮生活に入った。宣之さんは、高校時代も毎日練習を見に行った。

卒業後、ドラフト四位でオリックスへ入り、二年間は、一軍と二軍を行ったり来たり。三年目、故・仰木彬監督の時に、大爆発。プロ野球史上初の二百十安打を達成。

イチロー選手が子供の頃、時々一緒にお風呂に入りながら、

「いいかイチロー、男というものは、一つのことに集中しそれを極める。一本の道をどこまでも進んでいけば、その道はあらゆる道に通じるんだぞ。一つのことを、成し遂げた人を、人は必ず認めてくれる。男ならあれこれ迷わないで一つの道を行け。一つの生き方を貫くことが一番価値のあることだから、好きなことをどこまでもやってみることだ」

と教えてきた。

「人はイチローを天才といいますが、努力しなければできない子。天才の二文字で片付けてもらっては困る」
「子どもは絶対に親の背中を見て育つ。……少なくとも二十歳になるまでは、徹底的に子どもに付き合ってあげることですね。」

今や日本の誇りと言えるイチロー選手。この親にしてこの子あり。父と子の壮絶な努力。唯々感服いたしました。

…………一つの道を貫く…………

私たち、生き生き創健館は、お客様の健康のお役に立つ。この一つの道を貫いて参ります。

本年は、ほんとうにありがとうございました。
来年もよろしくおねがい申し上げます。
お風邪など召されませぬようご自愛下さいませ。
(参考文献…致知)

中谷