【 vol.24 】日本の子供たちのために


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お元気でいらっしゃいますか。
いつもご愛顧いただきましてありがとうございます。

20080901_1皆様、覚えていらっしゃいますか?終戦から三十年後の昭和四十九年、最後の日本兵・小野田元陸軍少尉が、ルバング島から帰還されたこと。その後のお話です。

翌、昭和五十年、次兄のいるブラジルへ移住し、牧場を開拓。陰で「千二百ヘクタールの牧場なんて小野田はのぼせたことを言う」「でかいことを言って生意気だ」などと言われることが一番嫌だった。

だから人の声が聞こえないように、地球の裏側のブラジルで、しかも森の中で牧場をやろうと思った。森にいるのは豹(ヒョウ)と野豚と鹿くらいだから。

「千二百ヘクタールと言えば成田空港と同じくらいの広さ。素人などにできるはずがない」とも言われたが、ルバング島の二十分の一、大したことはない。それにルバングとブラジルには、気候や天候に共通点があり、「できる」と確信した。開拓まで七年かかり、現在の牛の数は千四百頭くらい。

開拓から十年、牧場経営も軌道に乗り出した頃のこと、邦字新聞で、「予備校生が金属バットで両親を殺害した」事件を知り、非常にショックを受けた。経済的に豊かになった日本で、子どもたちが何かに追いつめられ歪んでしまっている。

残りの人生を子どもたちの役に立ちたいと考え、五十九年に野外キャンプ自然塾を富士山麓で開催した。子どもたちが自然と向き合うことで、その厳しさや素晴らしさを体験すると同時に、人間の本質に目覚め、自己を見つめ、目的を持ち、逞しく生きてほしいと願ってのこと。

小野田さんが、時々ブラジルから日本へ帰って感じることは、日本は戦争に負けて戦前のものをすべて放棄した。占領政策で自由と権利ばかり刷り込まれ、個人主義でなく利己主義になってしまった。利己主義だから他人を認めない。自分の自由を束縛するものは、親でも何でも 全て悪だと思っている。

僕は自然塾に来た子どもたちに、「君たち一人で生きられる?」と聞くんです。一人で生きられるかどうか考えたら、自ずとどう行動すればいいか分かる。

もう一つ「自分が強くならないと人に優しくできないよ。友だちが裸で寒さに震えている時、自分の上着が脱げる?脱げば自分が寒くなるけど、脱いで貸してあげて初めて優しいと言えるんだよ」と。

小野田自然塾も今年で二十四年。僕も生きている限り誇りを持って、日本のために、子どもたちのために役にたちたい。どんなに年齢を重ねてもこの気持に変わりありません。

—戦後三十年間終戦を知らず、ルバングの密林で戦争を続けて来られた小野田さん。帰還後の日本は、小野田さんの目にどのように映ったのでしょうか。現在八十六歳の小野田さん。日本を憂えて 今も戦って下さっています。いつまでもお健やかに。——-

夏のお疲れが出ていらっしゃいませんか。どうぞ くれぐれもお厭(いと)い下さいね。
又 来月お目にかからせていただきます。

(参考文献…致知)
中谷