【 vol.32 】無償の愛


春‥‥‥目に桜‥‥‥口に花弁、桜餅(花より団子派に)。
いつもご愛顧いただきましてありがとうございます。

20090401_1今月は(株)大庄社長、平辰氏の母上、八重さんのお話を。

平氏は、昭和十五年、新潟県佐渡市で生まれました。母は子どもたちのおしめを古着の布の切れ端で縫い、汚れたおしめは凍りつく川に運び洗ってくれた。

冬の雪の降る日、母の手はあかぎれで割れ、腫れ上がり、血が出る割れ口にはご飯粒を詰めて耐えていた。それでも子どもには「少しでも温かいおしめを、、、」と、コタツで温めてくれた。

おっぱいを飲ませながらの食事でも、ビリビリと下痢のうんちを腿で感じると、食事を中座し、おしめをはずし、下痢でただれたお尻を舌で舐め取っては吐き出し、舐め取っては吐き出し。今のように柔らかい紙も布もなく、かたい布おしめや新聞紙で拭けば、赤ん坊のお尻はさらに腫れ上がる。だから自分の舌で。

母は毎朝四時に起き、十二人家族の朝食を作り、朝食が済むと肥料の糞尿を入れた肥桶を天秤棒で担ぎ、一時間もかかる蛇の多い山道を山の田畑に運んでいった。足をすべらせ肥桶ごと倒れ、うんちだらけになったことも。

野良仕事は、夜八時九時に終わることも多く、常に星が出てから帰ってきた。平さんが東京に出たあと、母が上京してくる時はいつも、足が悪いのに米だ、芋だと重いのを持ってきてくれた。

昭和五十七年に平さんが、やる気地蔵を祀った 「やる気茶屋」 を始めた時には、五十キロもある石のお地蔵さんを背負って佐渡からやってきてくれてびっくりさせた。

母が死を覚悟した時 『私はもう畑にも出られん。田圃にも行けん。仕事が出来なければ、人のためにならん。たとえ、我が子であっても迷惑はかけたくない』と言い、大樹が枯れるが如く静かに亡くなりました。

偉大なる母に、無償の愛の尊さと大将の道をお教えいただきました。この平さんのことを書かれた中條氏(到知掲載)は、平氏と八重さんと度々接したが、接すれば接するほど 「この親にしてこの子あり」 の感を深くする。親の躾の大切さをしみじみと感ずると述べられています。

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この平さんの母上、八重さんのお話を知った時、何とも言えぬ感動に包まれ、涙が止まりませんでした。

慈愛溢れる聖母観音様のような母。
究極の母の愛。
己を捨てひたすら子を思う。
無償の愛の尊さ。

ともすれば、自分の流した汗や苦労が忘れられず、こうしてやった、ああしてやったと思いがちな世の中。受けた恩は忘れず、周りの人のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」を持つことの大切さを学びました。私たちも、お客様から受けた恩を忘れることなく、いつもお客様の健康を祈り、思いやる気持を大切にして参ります。

さて四月は一月の次に新しく始まる月です。
何か新しいことに挑戦してみませんか?

(参考文献…致知)